236プロダクション

サークル「E'」の236が運営するSSブログ。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

神瀬夜の退行

朝から暑い落葉ノ原。いつものように一番遅い時間に起床した静を待ち受けていたのは、普段と変わらぬ光景だった。
見た目では変わらない。ただし、ひとつ圧倒的に平時とは異なるものがあった。
そんな二人――夜と基祐のやり取りである。

「ねえねえ、遊ぼうよ」
「また今度な」
「いつもそれじゃない。今遊んでよ」
「じゃあ草むしりでもして遊ぼうか」
「ぷぅ、そんなの遊びじゃないよ!」

起き抜けの覚醒しきっていない頭だが、拭い去ることの出来ない違和感を静は感じていた。
どう見たって夜の様子がおかしい。
基祐の首に後ろからまとわりついて、駄々をこねるようにじゃれついている。

「仕事に行かないといけないんだよ」
「ええー、おしごとー」
「そう」
「いつ帰ってくるの?」
「六時くらいかな」
「なにそれー。もう暗くなっちゃうよー」
「仕方ないだろ」
「それじゃお休みの日はいつ? いつ? 遊園地連れてって!」
「遊園地ぃ?」

どこから突っ込んだらいいのか、静は口を挟めずにただ眺めているしかなかった。
だが次の一言で、静の疑問は一気に広がることになる。

「ねぇおねがい、いいでしょ? おにいちゃん」

*

――やがて夜が厠に立ったので、静はようやく基祐に聞きたいことを聞く機会を手にする。

「どういうことですか、基祐さん」
「見ての通りだよ」
「見てわかりゃこんなこと聞きゃしませんよ!」
「……」
静の言うことが珍しく至極まっとうなので、基祐は一瞬言葉に詰まる。
卓上の灰皿を手元に引き寄せて周囲を見渡すが、肝心のタバコが見当たらないので口さみしいまま彼は語った。

「たまになるんだよ」
「たまに? なにに?」
「見た目のままに」
「見た目のまま……」
夜の姿を思い描く静。

「って、子供ってことですか?」
「そう」
「子供になる?」
「そう」
「中身が?」
「そう」
「子供になる」
「そう」
「ふむふむ、なるほど……」
などとつぶやき、一度は納得しかけた静だが。

「なんですかそれ! 今まで某名探偵だったのが、今は本物の子供ってことですか!」
「だからそうだって」
あまり突然な事態に、普段の夜が聞いたら怒り心頭になりそうなことを言う。

「なんでです?」
「さあ……」
「さあって……家族じゃないですか」
「家族でも知らないことはある」
あくまで冷静な基祐の態度に、顎に指を当て細めた目で視線を送る静。

「……もしかして、そういうプレイ?」
「違うわっ!」
ドンッと足裏で畳を打つ基祐。部屋中の家具や静の体が五センチほど浮いた。

「たまになるのは本当だ。原因もわからんが、多分反動なんじゃねえかと思ってるよ」
「まぁ……普段は大人な中身ですからね」
「たいていは一晩経てば元通りになるから、心配すんな」
それだけ言うと、基祐はあぐらを組んでいた足をほどいて立ち上がる。わきにうっちゃってあったかばんを掴んで肩に担いだ。

「というわけで、あとは頼む」
「は?」
「俺、仕事」
「それで、あたしに子守をしろと?」
「そういうことだ」
「本気ですか!?」
「仕方ないだろ。放っておくわけにもいかないし、遊んでやってくれ」
「ええー? めんどいなぁ……」
「お前も女なら『きゃあ小さい子かわいいー』くらいのことは言ってみせろよ」
「普段のロリババアっぷりが染み付いてて、とてもそんな目では……」
「とにかく子守はお前に任せる。俺ゃ忙しいんだ」
「……もんた・みのに相談していいですか?」
「は? なにを?」
「おもいのまま生電話のコーナーで『夫が仕事ばかりして育児に協力してくれません』って」
「俺の子でもお前の子でもねえよ!」
付き合ってられんとばかりに立ち去る基祐だが、ふすまから体半分だけ見せた状態で一言付け足す。

「そうそう、多々さんには絶対言うなよ」
「はい? 多々さん?」
「確実に連れ去ろうとするからな」
「……」
「あとお前もいじめたりするなよ、小さい子なんだから。いいな!」
静を思い切り指さして念を入れると、ようやく基祐は玄関のほうに足を向ける。
やがて靴をはく音、玄関戸が開く音がして、車の音は空の彼方へと消えていった。

「……」
ふと視線を横に向ける静。すると。

「じぃ……」
「……」
いつの間にか夜が隣に立っていて、指をくわえて静を見ていた。

「そんな『いじめるな』だなんて、基祐さんってば」
その星を散りばめたように屈託なく輝く瞳。普段の人を常に疑ったような陰気な濁りとは雲泥の違いで、自然と静は呟いていた。

「もちろん……いじめるにきまってるじゃないですか」

*

緑生い茂る高台に隣接するのは、落葉ノ原の名所として名高い鎌倉坂神社。
木陰が踊るその境内に、上空から不思議な機械音が近づいてくるのを神主である多々順一郎は聞いた。
やがて水盤舎の奥にある開けた場所で、その音は小さくなっていき、止んだ。

「やぁ、基祐くん」
「よお」
多々の爽やかに挨拶に対し、彼の返事はぶっきらぼうという日本語がこれ以上なく当てはまるものだった。
しかしそれもいつものことなので、年上にもかかわらず多々は変わらぬ笑顔でそれを受け止める。

「なにか用かい?」
「いや、ただ寄ってみただけ」
「うん? 理由もないのに?」
「まぁな。たまにはいいだろ」
「ぼくは構わないけど……暇なんだね、きみも」
「あんたもな」
枝葉の隙間から漏れた光を眩しく感じ、基祐は仕事用の帽子を目深にかぶり直した。
基祐がわざわざ神社に足を運んだ理由は、もちろん多々の動向を確認するためである。
静にも言ったことだが、夜が子供化しているときに多々は大変危険であり、彼女の身を案ずる立場として、ここは要チェックだった。

「あ、そうだ。今朝、氏子の方から桃をいただいたんだよ」
多々は日課である掃除の手を止め、水盤舎の方を指す。湧き水が蓄えられた水盤にはぷかぷかと桃が浮かべてあった。

「そういうことしていいのか……?」
「八百万もいるんだから、一人くらい許してくれる神様もいるでしょ」
「適当すぎるだろ」
これで二級上の神職だというのだから、基祐としては不思議でしようがない。

「結構たくさんもらったからね。きみたちもいくつか食べておくれよ。まだ少し固いけど、甘さはグンバツだよ」
「グンバツねえ」
「きみ、仕事だろ? あとで家まで持って行ってあげるよ」
「家まで!?」
反射的に声を荒げる基祐。

「なんだい、いきなり大声出して」
「い、いや、なんでもないけどよ……。わざわざアンタが行かなくても、俺が自分で持って行くから」
「遠慮しなくていいよ、今日はちょっと時間があるから。夜ちゃん静ちゃんに挨拶がてら、ね」
「いいってば。今日は二人とも出払ってるから、家には誰も居ないぜ」
基祐は思った。普段ロクでもねぇくせに、どうしてこういう時に限って親切心起こしやがるんだコイツは、と。

「そうなのかい……? じゃあ仕事が終わったら取りに来ておくれよ。それまで冷やしておくから」
「わかった」
心のなかでほっと胸を撫で下ろすと、基祐はつま先の向きを車の方に向け直した。

「じゃあそろそろ行くから。また後でな」
「うん。気をつけてね」
多々の声を背に受けつつ、去り際に水盤舎を覗きこむ基祐。
水面に浮かべられた薄桃色の果物が、湧き出る水の流れでくるくる回転していてなんとも風情があった。
夕食後に饗されるであろうそれを想像しながら、彼は車のエンジンをかけた。暑い一日だが、ひとつ小さな楽しみが出来た瞬間だった。

*

「おねーちゃん、だれ?」
曇りのない夜の視線は、もちろん居候の少女に向けられている。

「あたしのことわからないの?」
「よる、知らないよ。おねえちゃんのこと」
「普段とは記憶の段階で違うのかな? まぁいいや。あたしは静っていうの。よろしくね」
「しずかちゃん……うん、よろしくおねがいします」
小学生のリズムで挨拶をする夜。見た目が変わっていないだけに、中身の変貌っぷりはもはや脅威のレベルに達している。

「しずかちゃん、遊ぼうよ。きすけおにいちゃんが遊んでくれないからつまんないの」
「いいよ。なにして遊ぶ?」
「うーん、かくれんぼ!」
「久しぶり~! いいじゃん、やろうやろう!」
「わあい! それじゃ、ジャンケンで負けたほうが鬼ね。あと、この家から出ちゃだめだよ」
「はいはい。じゃーんけーん……」
「ぽんっ」
ふたりが提示したのが、それぞれ静がハサミ、夜が石だった。

「負けちゃったあ。あたしが鬼だね」
「それじゃ、隠れるから目をつむって三十数えてね。見ちゃいやだよ」
「あはは、見ないってば。じゃあ数えるよ。いーち、にーい」
「それっ!」
柱に顔を伏せている静の耳に、走り去る小さな足音が聞こえると。

「見るに決まってるでしょ! どっちに逃げた?」
走り去る夜の背中を完全に捕らえた。なるほど、あっちの方向か。

「ええと、いくつ数えるんだっけ。なーな、はーち、きゅーう、じゅーう……」
「じゅーいちじゅーに、じゅーさんじゅーし……」
「ああもうめんどくせ! もーいーかい!」
「ええっ! まだ三十もたってないよー!?」
遠くで抗議する声が聞こえてくるが、そよ風ほどの影響も受けずに静は答える。

「大人になるとね、時間が経つのが早くなるんだよ」
「そーなのー?」
「そーなのよ。もーいーかい? っていうかもういいよね。よーし、それじゃあ探しちゃうぞ~」
「わぁーい」
「ふふ、無邪気な声……。もし見つかったらどうなるか、まったくわかっていないようね」
子供にも容赦のない静の目は、まるでサメのように冷酷な光を湛えていた。

「ここかなぁ?」
夜が走り去った方向、声の聞こえ具合から、静はまず神瀬家と一体化している店舗部分を疑った。
試着室を覗いたり、棚にかけられている衣服の影など、死角になりそうなところを漁っていく。

「ぬう、ガキのくせに意外としっかり隠れてるじゃない。ここじゃないのかな?」
めぼしいところを一通り探し終え、次の場所に移ろうかと思った瞬間だった。静の目端にわずかに動くものが映った。

「てきぃ~ん、そこか!」
カーテンの奥にわずかな膨らみがあり、小刻みに震えるように動いている。なにかを受信したように装っているが、自分で口に出して言っているのだからしようがない。

「そんなところに隠れてたところで……無駄無駄無駄!」
叫ぶや否や、カーテン越しの膨らみに猛烈な暴力を加え始めたではないか。掛け声に某吸血鬼の影響が及んでいるのは言うまでもない。

「ダムダムダムダムダム! ……ふぅ、やったか?」
などと言っている時点で結果は見えているようにも思えるが、とにかく静は散々殴り倒したカーテンをめくる。

「これは……ぬいぐるみ! しかもこの磁石は」
妙に手応えが軽いと感じてはいたが、中身はふわふわのくまだった。「ゆういち」と書かれた名札がぶら下がっているが、くまのゆういちの腕には磁石が縫い付けられていた。
そして、いつの間に付けられたのか、静の服の袖にも磁石が付いている。

「あたしが近づくと反応する仕掛けね。小ざかしいまねしてくれるじゃない」
ぺろりと舌を出して冷たい笑みを浮かべる静。
「絶対に見つけてひねりつぶしてやるわ……。その瞬間、この家の支配者は名実ともにあたしとなるのよヒューホホホ!」
その悪辣極まりない表情は、まさに外道と言って何ら差し支えないものであった。

*

地面を這い回るように移動する影がひとつあった。
上空をしきりに警戒しながら、木の下から木の下、軒下から軒下へとそそくさ動き回る。
勝手に他人の家の敷地に入るのもお構いなし。ひそひそ噂をされようが、ほうきで叩かれようが殺虫スプレーを吹きかけられようが我が道を行く。その男の正体とは。

「もうちょっと格好いい紹介の仕方をしてほしいものだねえ」
多々順一郎その人である。そして、誰に文句を言っているのかわからないがそれは無理な注文というものである。

「基祐くんの車は……よし、あっちに行ったな。今だっ!」
上ばかり見つめていたのは、基祐を警戒しての行動だった。神社にいると言った手前、ここで基祐に姿を見られるのは得策ではない。
基祐は仕事柄、鷹のような視力を発揮することがある。そんな彼に見つからないようにするためには、遮蔽物に身を隠すのが一番というわけだ。

「ふう。……よし、ここまでは順調っと」
次の中継所である犬小屋にもぐりこむと、再び上空を見上げる。空タクは大きな弧を描いてゆっくりと旋回すると、速度を落として航行を続ける。

「次は、痛てっ、向こうの自販機の下まで痛ててっ、移動するとして痛てててっ!」
妙な悲鳴が混じるのは、小屋の主に散々噛み付かれているからである。それでも目的のためには苦痛などまったく意に介さないその姿勢だけは見事なものだ。
そもそも、今彼を突き動かすその目的──それはもちろん神瀬家だった。

「基祐くんの今朝の態度、どこか怪しかったあいたたっ! 家に来てほしくなかったみたいだし、おわぁっ! なにか隠しているに違いないあおおおーーーっ!」
最後のほうはどこか悦びじみたものが混じっていたが、多々の予測は概ね間違っていない。
それに、言うほど基祐の態度に不自然なところはなかった。それに気づいたのは単に多々と基祐の付き合いの長さ、あるいは多々の目の付け所が鋭いということか。
彼と神瀬家との距離は、ゆっくりだが確実に縮まってきていた。

*

静は狙いを二つに絞り込んでいた。

「あの子が潜んでいそうなのは、あっちの植え込みか、あるいはそっちの物置か」

かくれんぼのステージを屋外に移して、彼女は殺意の波動に満ちた瞳をギラつかせる。
二つに一つ。今度こそは確実に決めてみせる。

「決めた、植え込みの中だッ!」
叫ぶや否や、猛然と対象に向けてダッシュする。その手には薪割り用の小斧が握られている。

「──と見せかけて実は植え込みでも物置でもない、そのドラム缶の中だァッ!」
九十度進行方向を変え、赤茶に錆びた空きドラム缶に強烈な一撃をお見舞いした。
が。

「ここじゃない!? ということは植え込みか!」
もう一撃。

「違う!? シンプルに物置か!」
さらに一撃。神瀬家の設備が次々と破壊されていく。

「いねえ! いったいどこに行きやがったァ!」
読みが悉く外れ、子供に欺かれた怒りに頭を煮えたぎらせる静。
──ふとそこに、草がこすれるような音がした。

「んん? なるほど、そこだったのね」
ニタァと音がしそうなほどの胡散臭い笑みを浮かべると、彼女は斧を投げ捨てた。向かう場所は、庭の一角に積んである巻き藁の山だった。

「ふふ、手こずらせてくれちゃって。でももうここでゲームはお終いね」
懐からマッチを取り出す。先を擦ると、小さいが勢いの良い火がぼうっと出現する。

「ついでにあんたの人生もお終いよ! 汚物は消毒しないとね、ひゃっはぁぁぁ!」
放物線を描いたマッチが巻き藁に着地すると、あっという間に表面全体に炎が行き渡る。よく乾燥した藁は、さながら山火事のように盛大に燃えた。

「あーはっはっはっは!」
ごうごうと炎が渦巻く音と、甲高い静の笑い声が響き渡る。
その時だ。

「ドギャーーーーッ!」
悲鳴とともに火達磨が転がり出てきた。地面の上にのた打ち回り、体についた火を消そうと必死にもがく。

「男の声……もしかして基祐さん!? いけないっ!」
早まって処分する対象を間違えた? でもどうして基祐さんがこんなところに……!
慌てて防火水槽から水を汲んできて、のたうち回る黒い人影に浴びせる。何度か重ねて水をかけると、頑固な火だがようやく鎮火してくれた。

「だ、大丈夫ですか、生きてますか! 生命の危険に際し、体のとある機能だけ活性化させてくれてもいいんですよ!」
ハンカチですすだらけの顔を拭う。意外ときれいな素顔がその下から出てきて、静はホッとした。

「やあ助かったよ静ちゃん。さすがに今回ばかりは死ぬかと思った」
「多々さんだとォーッ!?」
ホッとしたのもつかの間、歓声が悲鳴に変わる。

「ところで、生命の危機に瀕した雄が活性化させる機能、きみで発散させてくれないかなブワッ!?」
平常どおりの笑顔で迫る多々に、またしても水が浴びせられた。

「もう水はいいよ……って、くんくん、なんか変だな。臭うよこの水」
自分の体の臭いを確認しながら静のほうを見る多々。しかし彼女が立っているのは防火水槽の隣ではなく、ボイラー用燃料タンクの隣だった。

「……これ、灯油?」
「もう一度火をつけさせてください。あと一回だけでいいんです」
「むう、それは厳しいなぁ。いくらなんでも油まみれは生還が望めな……アブネッ!」
「最後はみんな火葬させるんですから、いつだって同じですよ!」
「無茶苦茶だ! うわ、マッチを投げないでってっでええええ!?」
「消し炭になれ!」
「うわああああ!」
逃げ惑う油まみれの多々に、火を持ってそれを追い回す静。庭のあちこちで小さな煙が上がって、やがて消防団のサイレンが聞こえてきた。
防火服を着た屈強な男たちにこってりと説教されるふたりを、夜はどこかで密かに鑑賞していた。

*

消防団の男たちは帰っていったが、静と多々はまだ神瀬家に居残っていた。

「そもそも多々さんは何しにきたんですか?」
「何となく来なくちゃいけないような気がしたんだ」
「はぁ?」
「今朝からこの家で、なにか変わったことがあったんじゃないかな? 恐らく夜ちゃんの身に異変があったとか……」
「……なぜそれを?」
「匂いでなんとなく」
「うえぇっ」
実際多々の推察力は大したものだった。基祐の妙な態度ひとつで夜の異変にまで考えを及ばすことは、通常の思考では考え辛い。
静は、生理中の女性が海水浴をしていたとき、血の臭いを嗅ぎつけたサメに襲われたという事件を思い出した。

「お察しの通り、今夜さんは見た目どおりの子供になってます」
「ふおっ……きたきたきたぁ! ぼくの時代がきたぁ!」
「な、なんですか急に」
「普段は理知的で取り合ってもくれない夜ちゃんだけど、この日ばかりはぼくにも機会がある。今のうちに手篭めにしてしまえば、彼女が大人に戻ったときに動かぬ証拠を突きつけることができるでしょう」
「子供になんてことしようとしてるの……」
「そういうきみはなにを企んでるんだい?」
「あたしはただ、邪魔な人に消えてもらいたいだけです。手段は問わず」
「手段は問わないとか言ってる時点で、きみも十分アレだけどね」
二つの邪悪が神瀬家に集っていた。

「しかし多々さん。……これは戦争ですね」
「ああ、そのようだね」
静がちらりと目配せを送ると、同じ事を考えていたのか、察したように頷く多々。

「あたしと多々さんの目的は、似ているようで実はまったく違う……」
「ぼくは彼女を欲している。しかしきみはまったくの逆、彼女を排そうとしている」
「ええその通りよ。つまりあたしたちは」
「異なる目的のために行動を共にするライバルということだね」
「ライバルだなんてそんな。それは人間同士の関係に使う表現ですよ」
「あ、あれ……ぼくって人間じゃなかったっけ」
「遺伝子配列は99.89%同じかもしれませんが」
「パターンで言うなら青かい」
「とにかく、あたしたちは敵です。夜さんを奪い合うという点において」
ギラつく瞳で多々を見据える静。それは人を相手取るというより、虫けらを見下すたぐいのものに近いだろう。
多々も静の言いたいことを把握し、いつでも動けるように身構えた、その時である。

「おーい、こっちだよー」
神瀬家の玄関先から、幼い声が聞こえてきた。確認するまでもない、二人から追求されている彼女である。
夜は穏便でない雰囲気を醸し出す二人のことなどつゆ知らず、セミの合唱に負けないくらいの陽気な声を張り上げた。

「今から鬼ごっこに変更ねー。多々のおじちゃんも混ざりたいー?」
「混ざりたい混ざりたい混ざりたい混ざりたい混ざりたい!」
「一回言えば分かるよ。子供みたいね、おじちゃん」
「子供に言われた……!」
密かに衝撃を受ける多々。夜はあの体であっても、多々という人物については承知しているようだった。

「じゃあ今から十数えるから、そしたら追いかけてきてね。負けたほうがお仕置きだよ。よーい、ドンッ」
合図とともに細かいストロークで駆け出す夜。
一方、鬼となった二人は溢れる笑みを抑えきれずにいた。

「ぷぷ……負けたらお仕置きって、自分の首を絞めるようなこと言っちゃって」
「お、お仕置き……勝っても負けても美味しいぞこりゃあ、はあはあはあ」
「……」
さすがに多々と一歩距離を置く静。

「さて、今何秒でしょう。そろそろいいかな?」
「まだだよ。あと三秒」
「あたし、カップ麺も少し早いくらいが好きなんです。ということで行きますね!」
「夜ちゃんは食べちゃだめだよ! ぼくが食べるんだから!」
フライングで走りだす静。遅れを取ってはならぬとこれまたフライング気味に追いかける多々。
鬼ごっこと聞いた瞬間、二人の間には共通の認識が生まれていた。それは、先に夜を捕まえたほうが彼女を得るということである。
すなわち、この勝負に勝つことが二人にとっての至上命題になっていた。

*

昼休憩の時間を迎えた基祐は、車を走らせて雑木林の上空に向かわせた。
位置を確かめて高度を下げる。着陸した場所は、今朝も訪れた鎌倉坂神社である。

「多々さん、昼飯のついでに桃食いに来たぜ」
石畳を踏みながら大きめの声を張り上げる。
――が、返事が彼の耳に届くことはなかった。蝉の声にかき消されてしまったのだろうか。
今朝のまま桃が浮かべられた水盤舎を過ぎ、社務所を覗く。続いて本殿、拝殿と足を運んでは声をかけてみるが、やはり返事はなかった。
ふと石畳を見ると、多々さんが今朝使っていたほうきが、入り口の鳥居の近くに転がっていた。

「――」
彼の胸にいやな予感が走った。と同時に、もうその足は最速の交通手段、空タクへと向かっていた。

*

「待てぇぇぇぇい!」
「わーい!」
迫り来る多々の手を、綿毛のように軽やかにかわす。多々が手を振りかざせば振りかざすほど、夜の身柄は遠のいていく。

「待って夜ちゃん! あそこに基祐さんがいるよ!」
「えっ!?」
「嘘に決まってんでしょいやー!」
「あっ、ホントだ。きすけおにいちゃん!」
「え、マジ!?」
「嘘に決まってるよーん!」
「ぬがっ……」
騙し合いでも静の上をいき、またも窮地を脱する。落葉ノ原のあぜ道に、乱れに乱れた三つの足跡が点々と刻まれていく。

「どしたの? 捕まえられない?」
ケラケラと笑いながら、畑の真ん中で小躍りする夜。

「くそう……絶対飼い慣らしてみせるぞお!」
一声叫ぶと、多々は猛然と駆け出した。そして……。

「捕まえた!」
「きゃーっ」
なんともあっさりだが、夜の肩に多々の両手がかけられた。

「ねぇ、おじちゃんおじちゃん」
「さっきからおじちゃんおじちゃんって……ぼくはまだそんな歳じゃないよ」
「おじちゃんおじちゃんおじちゃんおじちゃんおじちゃんおじちゃん」
「な、なんだい、もう……」
「そこ、危ないよ?」
「え?」
危ないとはなんなのか。むしろ自分の身を案じたほうがいいのではないか。そんな風に多々が思っていると。

「おじちゃんが立ってるのは肥溜めの上だよ」
「……おうのう」
ミシリ、という乾いた音の後に、どぷぅんっという音を立てて多々は消えた。表面だけ乾いた糞尿がまるで落とし穴の蓋のような役割を果たしていたのだ。

「なかなかやるじゃない、子供のくせに」
「へへー」
「でもあたしはそうはいかなくってよ! 奥義、刹活孔!」
静は両の手に気を込めると、自らの大腿部に突きを入れる。

「この技は激痛と引換に身体能力を高めることが出来……あででっ、いたたたたたっ!」
「……どうしたの?」
「痛すぎて動けな……ひ、ひぃぃぃぃ!」
「だ、大丈夫……?」
「無理無理無理! 痛ッ、触らないでえ!」
「これじゃ刹活孔じゃなくて醒鋭孔だよ……ほら、立って」
痛がる静に肩を貸し、なんとか立ち上がらせる夜。

「歩ける?」
「む、無理……」
「じゃあ、よいしょっと。ほいっ」
そして、ふらふらの静を片手で軽く押した。

「え……?」
ひとりでは立てず、バランスを崩す静。その先には。

「肥溜めぇぇぇぇぇ!?」
絶叫を上げるも、体が言うことを聞かない。静は多々の怨霊に誘われるかのように、茶色い池に向かっていった。

「ぶはぁ! またくそみそになるなんて……って、上から人がぁぁぁぁ!」
すると水面に、やっと浮かび上がってきた多々の顔が。そこに静の足が降り注ぐ。

「ぶべっ! ゲボボボ……!」
踏まれた多々は呼吸をする時間もロクに与えられず、また泥中に沈んでいった。今度は浮かび上がってくる様子もない。

「あ、危ない……! あのうんこ男がいなかったらあたしまでウンチョになるところだった……!」
真夏にもかかわらず冷たい汗で背中を濡らす静だが、突き飛ばした夜はケラケラと無邪気に笑いこけている。

「なんて酷いことを……! 子供だから容赦というものを知らないようね」
普段の夜が聞いていたら「お前が言うな」と思ったであろう。

「かなり手強いようね。心してかからないと……行くわよっ!」
「わー、にげろー!」
かくして、一人減って二人での追いかけっこの再開となった。

*

どれくらい落葉ノ原を走り回ったのか。紆余曲折ありながら二人のトムとジェリーは最終局面を迎える。

「はぁはぁ、追い詰めたわよ。観念しなさい」
「わぁ、捕まっちゃうー」
袋小路に夜を追い詰めた静は、両手をワキワキと動かしながら夜に近づいていく。
その表情は、これから行われるであろうお仕置きへの期待から、いびつな笑みに満たされている。

「さぁ、お仕置きの時間よ――って、何コレ」
静の目の前に、ロープが垂れ下がっていた。何もない空中から、大きな振り幅で太い縄が揺れている。
何の気なしに彼女がそのロープを掴むと、

「うわぁぁぁぁぁぁ!?」
縄は勢いよく上空へと移動し、静の体は空高く釣り上げられてしまった。

「いやー、釣れた釣れた大物が」
「基祐さん!?」
「……と思ったら、こりゃ小物か。シケてんなあ」
上空から垂れ下がっていたロープは、基祐の車からだった。

「こんな小物はバラしちゃおうかな」
「バラす……って?」
「リリースだよ。小さすぎる魚を放してやるの」
「今放したら死んじゃいます!」
すでにどんな木よりも高い位置に静の体はある。
下では夜がぽかんと指をくわえて、上空での出来事を眺めていた。

「おい」
「な、なんでしょう……」
「いじめるなって言ったのに。何してんだお前」
「いやぁ、ちょっとしたお遊びを……」
「お遊びで多々さんが糞まみれになるのか?」
「あれは自業自得というやつで……」
揉み手で繕った笑みを見せる静。

「ちなみに、多々さんは……?」
「助けたよ」
「え、どうやってです?」
「ストローを差してやった。息はできるだろ」
「は、はぁ……」
「お前も持っとけ」
ハンドルを片手で持ち、短いストローを投げて渡す基祐。

「今度は姉さんに遊んでもらうから」
「はい……?」
基祐は出力を抑えて高度を下げると、静を釣り上げたまま夜に声をかけた。

「おーい、無事か?」
「あっ、おにいちゃん。大丈夫だよ!」
「そうか。次の遊びはUFOキャッチャーだ。前後左右の方向を言うんだぞ」
「UFOキャッチャー?」
「そう、人間UFOキャッチャーだぞ。コイツをさっきの肥溜めに落としたら、きみの勝ちだ」
「ななななんてことを!」
「ストロー要るだろ?」
「要りません! 要る状況になりたくありません!」
釣られたまま必死の形相見せる静。今日一番の力説である。

「さぁ乗りな。俺が指示通りに運転するから、よーく狙うんだぞ」
助手席からはしごを降ろす基祐。今日は風もなく揺れも小さいはしごを、夜は怖がる様子もなくスイスイと登っていった。

「じゃあね、まずはまーっすぐね」
「よし、ストップっていうんだぞ」
「はーい!」
「誰か助けてぇェェェ!」
上から釣り上げられたままジタバタとあえぐ静の姿は、まさにまな板の鯉であった。

「おっ、ゴールが見えてきたな!」
「それじゃあ右ー!」
「ほいきた」
「ぎゃあああああ!」
「そのまま右ー」
「ほいほい」
速度を落とし、ゆっくりと落とす「穴」に近づいていく空タク。

「もっと右ー」
「はいよ……って、まだ右か?」
「まだまーだ」
「ああああ死ぬううううう!」
「釣られた魚は黙ってろ! ……で、まだか?」
「うん、そのままずーっと行って……」

*

「ここで降ろしてあげて」
「ここでって……ここは」
基祐が車を降ろして周囲を見る。

「俺んちじゃねえか」
「うん」
「た、たしゅかったの……?」
ようやく縄から解かれた静の顔は、涙と鼻水でどろどろだった。

「いいのか?」
「いいの。しずかちゃんはたくさん遊んでくれたから」
「散々ひどい目にあったのに?」
「遊びに本気になって怒るなんて、オトナのすることじゃないもんっ」
「なるほどねぇ」
基祐は腕組み一つすると、まだひくひく言っている静の方を向いた。

「許してくれるってよ? 散々いじめて回ったお前のことを」
「ひ、ひゃい……」
「なにか感想は?」
「うれぴいです……ひっく」
「小さくても器の大きさはそのままってことか」
本人には静を懲らしめてやろうという気がそもそもないのだろう。もう彼女は、ひらひらと舞ってきたチョウチョを追いかけて庭を走り回っている。
これで静の態度もいくらか良くなってくれるといいのだが……そう思う基祐だった。

*

――翌日、夜はもういつもの調子を取り戻していた。

「昨日は迷惑かけたわね、基祐」
「いや」
「鹿島さんも」
「はい……」
昨日の一件があるだけに、今日の静の態度はしおらしいものだった。
夜は夜で、子供のようになって醜態を晒したと思っているのか。居住まいからいたたまれなさが滲んでいる。

「でも、本当によかったのか? 少しくらい懲らしめたほうが身に染みたと思うけど」
「いいのよ。あれは遊びなんだから。それに……」
「それに?」
基祐が相槌を打つと、夜は静を見ながら言った。

「お仕置きが残ってるものね?」
「……はい?」
「昨日追いかけっこする前に言ったでしょ。負けたらお仕置きって」
「あ」
「実は昨日からずっと何にしようか考えてたの」
「ほう……」
基祐がニマリとすると、夜は指を折りながらいくつからプランを口にした。

「くまのゆういちの中に入ってもらってサンドバッグにするとか――」
「ひっ……」
「多々さんがいつも使ってる布団と枕で寝起きしてもらうとか」
「ひいいっ!?」
普段から溜まっている鬱憤の現れなのか、夜のお仕置き案はまだまだ出てくる。
ひとつ、またひとつとおぞましいお仕置きが出てくるごとに、静の背筋は冷たくなった。

ちょっと珍しい光景から始まり、これまた珍しく静の悲鳴で終わりを告げる、落葉ノ原の物語だった。

*

「そういえば多々さんへのお仕置きはどうしたんだ?」
「今もやってるわよ?」
「あん?」
「多々さんが落ちた肥溜め、扇風機をかけて表面だけカチカチに固めてあるわ」
「……ということは」
「まだあの中ね。ストローだけは出してあるわ」
「一日中あの中?」
「じゃない? たまに水だけ入れてあげてるわ。飲んでるみたいだし、生きてるでしょ」
「……」
さらにこの二日後、ようやく雨が降って蓋が柔らかくなったため、多々は抜け出すことができた。
しかしその公害のような臭さから、ただでさえ少ない参拝客がまた減ったという。
スポンサーサイト
  1. 2012/10/11(木) 04:03:59|
  2. SS(落葉の夏・B面)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

コメント

<%template_post\comment>


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://sss236k.blog27.fc2.com/tb.php/34-ebc72b13
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。